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![]() ウルトラQ、ウルトラマン、ウルトラセブンと続いた「ウルトラシリーズ」は一旦終了する。 その後、ウルトラシリーズの生みの親であり、ゴジラをも生んだ「怪獣の父」円谷英二が亡くなる。 巨星落つ、日本は偉大なる存在を失う。 しかし円谷英二亡き後も彼の生み出した怪獣の人気は永遠に続く。 ウルトラシリーズも新たなシリーズの再開をはじめる。 円谷英二亡き後のウルトラシリーズ、それが「第2次ウルトラシリーズ」だ。 第2次ウルトラシリーズの先鋒として誕生した「帰ってきたウルトラマン」 あまりにも偉大な「円谷英二」という存在に対して果敢にも挑戦しようとしたこの作品は、第1話に3体の怪獣を登場させる。タッコング、ザザーン、そしてアーストロン。 タッコング、ザザーンは透明化した帰ってきたウルトラマン、通称「新マン」に倒され、そしてアーストロンは実体化した新マンと戦う。 実質的に新マンと最初の「対決」を果たした怪獣はアーストロンだ。 この、アーストロン、実に怪獣として基本に忠実な、「いかにも怪獣」といった外見をしていた。 ゴジラ型、恐竜怪獣であり、頭には大きな1本角を生やしている。 怪獣として非常にシンプルなデザイン、言ってみれば「怪獣」と聞いてパっと頭に浮かぶイメージそのままのスタイルをしている。 第1話にこの、あまりに怪獣らしい怪獣、アーストロンを登場させたことから、俺は帰ってきたウルトラマンは円谷英二の確立した怪獣という概念を足元から捉え直そうとしていた意図を感じる。 新しい怪獣を作り出すのではなく、円谷英二の意思を受け継いだ怪獣を生み出そうとする意思。 いかにも怪獣らしい怪獣、それが「帰ってきたウルトラマン」の初期におけるコンセプトだ。 「帰ってきたウルトラマン」の初期に登場した怪獣は、あまりに怪獣のイメージからかけ離れた怪獣は登場しない。 どれも「正統派」と呼びたくなるような怪獣がほとんどだ。 アーストロンをはじめ、ゴーストロン、グドン、サドラー、ゴキネズラ そんななかでも円谷英二怪獣的ユニークなデザインセンスを取り込んだタッコング、ツインテール、ゴルバゴス、シュガロンなども平行して登場。 しかしあまりに一般的な怪獣のイメージに従った怪獣らしい怪獣ばかり登場させていることにより、どこか単調で規格統一的になり、「帰ってきたウルトラマン」後半においては「円谷英二怪獣」から意図的に離れる冒険的デザインの怪獣が増えてくる、ビーコン、ビルガモ、ヤメタランス、ササヒラー、サターン、キングマイマイ・・・・・・・・・。 初期の規格統一型怪獣、後期の冒険型怪獣。 どちらもそれぞれに良い面をもっている。 と、同時に悪い面をもそれぞれあった。 初期型はまさに単一単調なイメージでやや魅力に薄い。 後期型はユニークである一方、円谷英二怪獣にあった、スピリッツ、魂のようなものが感じられない。 やはり円谷英二という存在は、新しいウルトラシリーズにとって大きすぎる壁であった。 円谷英二に近づこうとしても、逆に離れていこうとしても、どうしても超えられない壁であったようだ。 しかし、そんな中でも、円谷英二を超えられないまでも、並んだと思われる傑作怪獣も誕生していた。 タッコング、ベムスター、ムルチ、ステゴン、シーゴラスなどは円谷英二怪獣に並んだ名怪獣ではないかと思う。 今回紹介するキングザウルスⅢ世も、そんな円谷英二怪獣に負けない名怪獣である。 四足歩行怪獣の中では抜群のかっこよさではないだろうか? 円谷英二の生み出した四足歩行怪獣、ガバドン、ゴルドン、スカイドン、ガマクジラ、などと並べてみると、俺としてはキングザウルスⅢ世が、最も怪獣としてかっこよいと思ってしまう。 少なくとも四足歩行怪獣の中ではキングザウルスⅢ世は円谷英二を超えたのではないだろうか? 長い首に四足歩行、背中の大きなひれ、など古代の恐竜のイメージを組み合わせて、キングザウルスの名にふさわしい「恐竜らしさ」と、頭の2本の長い角から感じられる、恐竜には無い「怪獣らしさ」によって、まさに新世代の恐竜、キングザウルスの3代目というイメージが伝わってくる。 さらに恐竜にはありえない、体の周りに張り巡らせたカーテン状のバリアーという能力を有する強力怪獣だ。 新マンも1度はこのキングザウルスⅢ世に敗北する。 残念なのはこれだけ魅力溢れる怪獣キングザウルス3世が、ドラマ本編では「強くなった新マンのかませ犬」的な存在としてしか描かれていないということである。 キングザウルス3世の登場するエピソード、「必殺!流星キック」は、物語の焦点はキングザウルス3世に敗北した新マンこと郷秀樹が、こんどこそ勝つために新しい必殺技、流星キックを会得するために努力して特訓するという、根性物語。 その努力と根性が実って、ついにキングザウルス3世を撃退するという流れで、キングザウルス3世は最初に新マンを倒す、最後に新マンに倒される、という役割しか与えられていない。 これだけ魅力的でありながら新マンの成長振りをアピールするためのかませ犬的な存在でしかないだ。 実にもったいない。 物語中で、もっとキングザウルス3世を活躍させて欲しかった。 「帰ってきたウルトラマン」の初期は円谷英二の「第1次ウルトラシリーズ」とは違い、怪獣に焦点を合わせた物語が少なく、新マンに変身する郷秀樹の挫折や孤立などを描く人間ドラマが多かった。 円谷英二=第1次ウルトラシリーズは物語全体が「怪獣の物語」であったのに対し「帰ってきたウルトラマン」の初期は「人間ドラマに添えもの的に怪獣が加わる」というものが多く、純粋な意味で怪獣番組かというと疑問の残るエピソードが多かった。 後期になると物語全体が怪獣に焦点を合わせたものが多くなるが、前半の新マン怪獣はせっかく魅力的な存在なのに、添え物的なあつかいでもったいないと思われるものが多かった。 その最たるものがこのキングザウルス3世である。 キングザウルス3世が存分に暴れまわるエピソードこそ見たかったと思う。 画像は「巨大オブジェ道」のヤマモト様の描かれたイラストを許可を得て使用させていただきました。ヤマモト様ありがとうございます。 ヤマモト様の怪獣イラストは素晴らしいです。 みなさまぜひ御覧ください! 「1円にもならねえ怪獣イラスト集」 ■
[PR] ▲ by pulog1 | 2004-08-31 10:47
![]() パチモン怪獣は一方的にパチモンとして片付けるべきではないのではないでしょうか? パチモン怪獣には怪獣ファンの夢が込められているのではないでしょうか? 俺は、このメットンを見てそう思いました。 御覧の通り、このメットン、バラゴンのパチモンです。 耳の形が微妙に違うバラゴンといった、このメットンの特筆すべき点は、大都市に現れているところです。 本家バラゴンは山奥に住んでいてときどき人里に下りてきて田舎の人間などを食べて、また帰っていきます。 ゴジラや他の怪獣のように高層ビルの立ち並ぶ、大都市にやってきて暴れるなどということはありませんでした。 「怪獣総進撃」にもチラっと登場したくらいで、バラゴンが大都市で暴れたという場面はありませんでした。 劇中で「パリにバラゴン現る!」などと言われていながら実際にパリで暴れていたのはゴロザウルスだった、というのは有名な話しです。 ゴロザウスルも悪くはないのですが、やはりあのバラゴンがパリの大都市で暴れまわるというシーンを見てみたかったです。 「大都市で暴れるバラゴン」は、我々怪獣ファンの夢でありますが、その夢をパチモン怪獣が叶えてくれたのがこのメットンのカード。 どこともしれない町ではありますが、とりあえず高層ビルとコカコーラのネオンがある、立派な都市であります。 どちらかというと「地方都市」という感じもしますが、とりあえず「都市」には換わりありません。 そんな都市でバラゴン(に似た怪獣)が暴れまわるという、このビジュアル! これこそ我々怪獣ファンの夢ではありませんか! たしかにパチモンではありますが、このメットンは我々怪獣ファンが夢に見た「バラゴン都市襲撃」を、ニセモノではあるものの実現して見せてくれたのであります! 実現することの無かった夢の怪獣ヴィジュアル。 それを叶えてくれるのがパチモン怪獣であるのです! そんなわけで本当のバラゴンではないものの、バラゴンに似ているというだけで俺はこのメットンが好きです。 本物でなくてはいけない必要があるでしょうか? たとえば本物の鈴木亜美と付き合いたいと思ってもそれは実現しないことでしょう。 しかし、鈴木亜美によく似ている女の子とつきあえるとしたら、嬉しくはありませんか? 確かに付き合えたけど、本物の鈴木亜美じゃないから不満だ、なんて思う男がいるでしょうか? たとえ本物で無くたって鈴木亜美そっくりの女の子と付き合えたら、それは男の夢が実現したと考えてもよいのではないでしょうか? それと同じことです。 バラゴンそっくりの怪獣が都市を襲撃する、これは怪獣ファンの夢が叶ったのと同じことだといえるのではないでしょうか? ですからバラゴンそっくりのメットンは夢を実現してくれた素晴らしい怪獣です! パチモンだからといって切り捨ててしまっていいのでしょうか? メットンはまさに夢の怪獣ではありませんか! そんなわけで、俺はパチモン怪獣をもっと評価すべきではないかと、こう思うのであります! パチモン怪獣の地位の向上、そのためにも我が「怪獣ブログ」は、今後もパチ怪獣を積極的に取り上げ、高い評価を与えていこうと、こう思っているわけでございます! 全国の怪獣ファンのみなさん! パチモン怪獣にもっと愛を! パチモン怪獣には夢がいっぱいに詰まっているのであります!!! 「怪獣ブログ」ではパチ怪獣を愛する賛同者を広く募集しております。 パチ怪獣大好きなみなさん、なんだかパチ怪獣が好きになってきちゃったみなさん! ぜひパチ怪獣に対する愛を、コメントや掲示板で熱く語ってくださいませ!!! ■
[PR] ▲ by pulog1 | 2004-08-30 17:51
![]() 本物の怪獣、つまりテレビや映画などのメディアに登場する怪獣と同等に「パチモン怪獣」を愛する俺としては、この「怪獣ブログ」において積極的にパチモン怪獣を取り上げていきたいと思います。 そして今回ご紹介するのは、パチモン怪獣カードファンの間では有名な・・・・・、ってパチモン怪獣ファンなんてものがいくらいるのかもわかりませんが、とにかくファンの間では有名なヨコプロの5円引き怪獣カードから「亡霊怪獣トーボーズ」です。 亡霊怪獣といえばまっさきに思い浮かべるのはウルトラマンに出てきた「亡霊怪獣シーボーズ」ですが、このトーボーズ、シーボーズと一字違いというなんとも浅いパクリっぷり。 しかし、その姿は骨の怪獣だったシーボーズとはまったく違う、ガメラのパクリです。 姿はガメラから、名前はシーボーズからパクるという会わせ技! この白昼の港に堂々と現れるトーボーズからは「亡霊怪獣」なる幽玄なイメージはみじんもありませんが、元ネタのシーボーズだって、なんだが泣き虫でイジケてばかりの幽玄とは無縁の、ちょっとかわいい怪獣でしたので、亡霊だからといって幽玄なるものとは限らない、という部分においてもシーボーズからのパクリであると思われます。 このトーボーズがなにをもってして「亡霊怪獣」であるのかまったく不明ですが、実は一度死んでいて亡霊として蘇った怪獣なのか、あるいはシーボーズ同様、怪獣墓場から地球へ落下したものなのかもしれません。 それ以上に「別に亡霊でもなんでもないけど、適当に名前をつけてみただけ」という線が濃厚でありますが、そんなツッコミをいれるのは野暮というもの。 トーボーズは、きっとどこかが「亡霊」なのでありましょう。 そして、ガメラそっくりのトーボーズですが、ガメラに勝ってる部分が、この何本もの角の生えた頭部です。 こんだけいっぱい角を生やしていれば、あのガメラにも勝ったも同然! しかし、惜しい! トーボーズにはガメラにはあった甲羅がありません。 角を手に入れた代わりに甲羅を失ったガメラ・・・・・それがトーボーズであります。 なんとなく目先のかっこよさを手に入れようとしたために、大切なものを失ってしまった、そんな感じのする怪獣ですね。 まあしかし、甲羅がないのはいいとしましょう。 元になったのが、あのガメラですから、このトーボーズも怪獣としてはなかなかかっこよく見栄えがします。 パチモン怪獣の中ではかっこいい部類に入るでしょう。 ま、ほんとにかっこいいのはガメラなんですが、そこにツッコミを入れるのは野暮というもの。 きっとトーボーズはガメラの親戚なのでありましょう。 そんな訳でこのトーボーズ、俺的にはなかなかお気に入りのパチモン怪獣であります。 ガメラさえいなければ人気怪獣になったに間違いありません。 ここでガメラがいなかったら、そのパクリであるトーボーズもいなかったに決まってるだろ? などというツッコミを入れるのは野暮というもの。 もし歴史が変っていれば、トーボーズこそゴジラにつぐ人気怪獣として、「トーボーズ対パルゴン」や「トーボーズ対キャオス」、「トーボーズ対パイラス」、「トーボーズ対キロン」などの映画が次々と製作され子供達に大人気になったに間違いない。 そんな「もうひとつの世界」が、この広い宇宙のどこかにあるかもしれません。 「もうひとつの世界」では、平成トーボーズ三部作なども作られ、マニアックな怪獣映画として高い評価を受けているのかもしれませんよ。 「トーボーズ3」には美少女タレント「後田愛」が出演していたりするのです。 俺もそんな世界に1度でいいからいってみたい。 そしてそこでトーボーズシリーズのDVDを買い漁り、トーボーズのリアルフィギュア、トーボーズの食玩グッズなどを買い漁りたい! ああ、素晴らしきトーボーズワールド! どうでしょう? あなたはガメラとトーボーズ、どちらがお好きですか? 俺はどちらとも決めかねます。 ガメラにはガメラの、トーボーズにはトーボーズの、それぞれいいところがありますからね。 え? トーボーズのいいところってなんだ?ですって? そりゃ角ですよ。それ以外ないじゃないですか? トーボーズから角をとったら、ただの甲羅の無いガメラです。 そんなものになんの魅力がありましょう。 ああ、角はいいなあ・・・・・・。 角のあるなしじゃだいぶ違いますね。 ですから角のあるトーボーズと角の無いガメラとでは、まったく違った怪獣であると言っても過言ではありません! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・過言だよ!!! ■
[PR] ▲ by pulog1 | 2004-08-29 11:23
![]() 3億5000年前のタイムカプセル(3億5千万年ではなく3億5千年というところがミソ)に古代人によって液状化され封じ込められていた2体の怪獣、青いアボラスと赤いバニラ。 怪獣同士の対決が怪獣ものの醍醐味であるということは「アンギラス」の記事でも書いたが、このアボラス、バニラによるオリンピック競技場を舞台にした2大怪獣の激突はウルトラマンにおける名場面の1つ。 ウルトラマンにおいてはそれ以前にレッドキングとチャンドラーの対決も描かれているが、これはレッドキングがチャンドラーを圧倒する一方的な試合であったのに対し、アボラスとバニラは実力の拮抗した力のある怪獣同士の好カードだ。 一般的にバニラはアボラスに負けた負け犬怪獣のイメージがあるが、そんなことはない。 2匹の実力は同等であるのだが、科学特捜隊がちょっかいを出してバニラを攻撃を仕掛けたため、バニラに隙が出来、その隙を狙ってアビラスは強力な溶解力を持つ泡を吐き、バニラを溶かしたのだ。 もし科特隊の介入が無ければ、あるいはバニラがアボラスに勝っていたかもしれない。 怪獣同士の真剣勝負に横から手を出した科学特捜隊は良くないと思うぞ! 古代人をして「悪魔」と恐れられた怪獣同士の対決は、レッドキング、チャンドラーの対戦を上回る手に汗握る白熱した対決だった。 それにしてもバニラ、アボラスは実にユニークで魅力的な造形をしている。 バニラはタツノオトシゴをモチーフにした怪獣であろうが、もととなったタツノオトシゴがそもそも実に変ったユニークな形状の生き物であるだけにバニラのその姿はなんともいえない面白さをかもし出している。 怪獣にしては重量感がなくスリムな部類に入るバニラだが、ずっしりとしたアボラスとの対比が面白い。 その毒々しく真っ赤なボディも、なにやら禍禍しく古代人が「悪魔」と呼んでいたのもわかる。 こうしてみるとレッドキングが手違いで赤くカラーリングされなかったことは正解であるように思う。 真っ赤というのはかなり毒々しい。やはり血のイメージがあるだろうか? 血に濡れた巨大なタツノオトシゴ・・・・・なんていったら、ちょっと気味が悪いが、こんな生物ありえない。実にユニークである。 対するアボラスのモチーフはなんと言ったらいいのかわからないものだ。 その巨大な頭と巨大な口。 ゴツゴツしたイメージから岩石を思わせるが、あのギザギザの耳まで避けた巨大な口は一体なにをモチーフにしたのか? 大きな貝にあんなものがなかっただろうか?たしかシャコ貝といった巨大な貝は、あのアボラスの口みたいにギザギザとはいわないけど、なにやら波打った大きな貝殻が2枚重なったもので、獲物を食べるときはガバっと開いて、挟まれたら人間でもはずすことは出来ないといったような話しを聞いた事がある。 アボラスの口はそんなシャコ貝を思わせる。 さらにアボラスはそのあまりにインパクトのある頭部と青いカラーリングによってボディはレッドキングを流用したものだということをまったく気づかせないところがすごい。 俺も言われるまでまったく気づかなかったが、ちゃんとみると、アボラスのボディはレッドキングをそのまま使っている。 色を塗り替え、頭をすげ替えただけだ。 レッドキングの長い首と小さな頭とは正反対の首がなく巨大に頭でっかちなアボラス。 まったく異なる形状の頭部であるため、レッドキングをイメージするなんてことはなかった。 見事な改造である。 ![]() そんな魅力溢れる2大怪獣の激突はたまらない。 怪獣というのは戦わずにはいられない存在なのだろうか? 怪獣の対決の動機は、つねに闘争本能という言葉で説明される。 怪獣は本能によって戦うものらしい。 そこに種の違う怪獣がいたら、なんの理由も無くとにかく戦うのである。 どちらが強いのかを決めずにはいられない存在なのだ。 なんとも難儀な性質だなあ、とは思うが、しかし怪獣同士が出会って戦ってくれなければこちらとしては物足りない。 やはり怪獣にはどちらかが死ぬまで戦って欲しい。 そして事実、怪獣はどちらかが死ぬまで戦いつづける。 戦いこそが怪獣の人生だ。生まれついての戦士であり、格闘家。 いや、それ以上のものが怪獣にはある。戦争や格闘などというレベルではすまない闘争の要求。 それが常に怪獣をかき立てる。戦わなくては怪獣ではない! ![]() このアボラス、バニラの戦いは結果的にはアボラスが勝利したものの、負けたバニラもあっぱれといいたい。 よくぞ死力をつくして戦い抜いたぞバニラ! 一般的に子供の怪獣ファンは強い怪獣が好きであるから、アボラスに負けたバニラは人気があまりない。 しかし、俺はバニラが好きだった。 子供の頃、怪獣ごっこをしたときは俺は他の子とは違ってウルトラマンではなく、進んで怪獣役をやりたがったものだ。 あるとき、友達がウルトラマンになり、俺が怪獣をやるときに、俺はバニラをやる、と言った。 友達は怪獣にあまり詳しくなかったのでバニラと聞いて「なにそれ?アイスクリーム?」と聞いてきた。 バニラは子供の間での知名度は低く、むしろバニラ味のアイスクリームのほうが人気があった。 俺としてはテレビでは実現されなかったウルトラマン対バニラの対決を、俺なりに再現したい気持ちでいたのだ。 バニラにもウルトラマンと戦わせてやりたかった。 怪獣として実力充分であったにもかかわらず不運にも敗れ、ウルトラマンとの対戦を実現できなかった。 そんなバニラに対する俺なりの追悼の意であった。 バニラならきっとウルトラマンと戦ってもいい勝負をしたことであろう。 ■
[PR] ▲ by pulog1 | 2004-08-28 08:48
![]() 「フランケンシュタインの怪獣、サンダ対ガイラ」は、「フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)」の続編である。 「フランケンシュタイン対地底怪獣」が好評だったためにつくられた続編というより、「フランケンシュタイン・・・・」の失敗点を反省して仕切り直した作品であるように思う。 「フランケンシュタイン対地底怪獣」の失敗点とは「バラゴン」の記事にも書いたが、メインとなるのがただの人間にフランケンのメイクをしただけのまったく魅力の無いモンスターであったところだ。 やはり「怪獣」をメインにしなくては誰も食いついてこない。 そう考えたスタッフにより、「フランケンシュタイン」を、怪獣化したサンダとガイラを生み出した。 この2体の怪獣は前作のフランケンシュタインとは見違えるように魅力的になり、これで正解だといえる。 やはり人間ではいけないのだ。怪獣でなくてはならない。 サンダとガイラは同じフランケンシュタインの細胞が分裂して生まれた双子の怪獣。 サンダは山の怪獣でガイラは海の怪獣。 「山」を「さん」とよんでサンダ。 「海」は「かい」と読むが、「カイラ」では怪獣の名前としては、どうもしまらないので濁音にしてガイラとしたのであろう。 サンダは全身を毛で覆われているが、ガイラは鱗で覆われている。 そしてサンダは穏やかな優しい顔つきをしているが、ガイラは凶暴な恐ろしい面構え。 そっくりな双子に見えるが、よくみるとまったく違っている。 サンダは人間の見方、正義の怪獣であるが、ガイラは人間を食う、凶悪な怪獣である。 さて、上で「この2体の怪獣は前作のフランケンシュタインとは見違えるように魅力的になり」と書いたが、正確に言うと「ガイラ」だけが魅力的である。 サンダは正義の怪獣であるにもかかわらず、ガイラに比べて怪獣としての魅力に劣る。 サンダのおだやかな顔つきは迫力に欠けるが、ガイラの鬼のような形相は迫力満点だ。 さらに、怪獣というものは人間の味方や正義になるととたんに魅力を失ってしまう。 怪獣は悪ければ悪いほど魅力が増すものである。 人間に味方する怪獣はどうも好きになれない。 ウルトラマンのピグモンは、あのウルトラQの名怪獣ガラモンと同じ姿形をしているにもかかわらず「人間に味方する友好的な怪獣」という設定だけで、とたんにつまらない怪獣に思えてしまう。 ゴジラも人類の恐怖であった頃は、とてつもない魅力を放っていたにも関わらず、シリーズが進みいつのまにか人間の味方になってしまったころには、すっかり魅力を失ってしまった。 また、俺はモスラがどうしても好きになれない。 インファント島の守り神モスラの、平和のイメージというのは、「怪獣のイメージ」とはかけ離れたものだと思う。 一般化は出来ないが少なくとも俺は人間の味方をする正義の怪獣が好きではない。 怪獣とは常に人類にとって脅威となる存在、そして何物にも縛られず、思いのままに暴れまわる究極のアナーキストであって欲しいと思っている。 怪獣の重要な魅力には「強さ」、「巨大さ」などがあげられるが、「悪さ」というのも非常に重要な要素である。 「正義と悪」という点では、怪獣はヒーローとは明確に区別されるべきだと思っている。 まあ、若干の例外はある。 ウルトラセブンの「カプセル怪獣」、ウィンダム、アギラ、ミクラスの3体はウルトラセブンの忠実なしもべとして正義の側に立つ怪獣であるが、こいつらのことはまあ正義の怪獣であっても例外的に好きだったりする。 カプセル怪獣という魅力的な設定と優れたデザインが、「正義」であることを許せてしまうのだ。 それでも、カプセル怪獣の3体が、もし悪の怪獣であったなら、今以上に好きになったかもしれない。 また、ガメラくらいになると、たとえ正義の怪獣であっても嫌いにはなれない。 もっともガメラは第1作目では「子供にだけは優しい」という設定ではあるが、初期ゴジラにまけない都市破壊を行う悪の怪獣だった。 ガメラは人間の味方という訳ではなく、あくまで「子供にだけは優しい」というだけの本質的には人類の敵であるのだと思う。 平成ガメラにおいては、その辺はもうすこし深く設定つけられていて、「ガメラはあくまで、地球の守護者であって、人類の味方ではない。人類が地球に危害を及ぼす存在となった場合は人類を滅ぼす怪獣になる」と、されている。 そういう点でガメラは人類の味方ではないと言えるので、俺はガメラのことは好きだ。 正義の怪獣と悪の怪獣という2律構造を明確に描いたのが「サンダ対ガイラ」だ。 そしてこの映画によって、やはり「怪獣は悪でなくてはならない」ということがはっきりと理解出来る。 サンダはどうにもパッとしないにもかかわらず、悪の権化、ガイラのなんとかっこいいことか! 冒頭の海での巨大なタコとの格闘、人間をつかまえ食べるというショッキングな描写、どれも迫力満点で素晴らしい。 サンダ、ガイラを比較することによって、どっちが怪獣としてかっこいいかが明確にわかるのだ。 怪獣には善悪の区別などない。 怪獣はその本能に従って生きているだけなのだ。 その怪獣の本能を「悪」だと」決め付けるのは人間の価値観に照らしてのことだ。 怪獣に人間なんかの価値観など関係ない。 だから、人間の価値観に従う正義の怪獣というのは不自然に思えて仕方が無いのだ。 正義の怪獣なんてありえない、というのが俺の自論だ。 怪獣は、人類の驚異であるのが自然であり、その自然さが人間にとって「悪」なだけである。 悪の怪獣は、それだけ人類にとっての脅威であり、それだけすごい怪獣であるということだ。 だから、俺は悪の怪獣、悪い怪獣が好きだ。 凶暴、凶悪であればあるほどいい。 「サンダ対ガイラ」においては割を食っているのは、むしろ正義の役回りをやらされているサンダのほうだ。 怪獣なら悪役のほうが断然かっこいいのだ。 ■
[PR] ▲ by pulog1 | 2004-08-27 11:54
![]() バラゴンは非常にもったいない怪獣である。 怪獣としてこれだけの魅力を持ちながら作品に恵まれなかった。 バラゴンの登場した作品は「フランケンシュタイン対地底怪獣」 ちなみにこの「地底怪獣」という漢字に「バラゴン」というルビ(ふりがな)がつけられている。 バラゴンはこの映画においてフランケンシュタインの敵役、やられ役として登場する。 が、このバラゴンと戦うフランケンシュタインがどうにも魅力が無いのだ。 バラゴンほどの怪獣ならゴジラレベルの大怪獣が相手としてふさわしい。 しかし、バラゴンの相手役が、フランケンシュタインのメイクをしただけの、たんなる人間でしかないというのは、あまりにも役不足だ。 「フランケンシュタイン対バラゴン」は怪獣映画として致命的な間違いを犯している。 怪獣同士の対決こそが怪獣映画の醍醐味であるのに、ただの巨大化した人間をメインにもってきてしまった。 フランケンシュタインには怪獣としての魅力がまったくない。 それに対し、敵役、やられ役の役割を与えられたバラゴンには溢れるほどの怪獣的魅力がある。 この作品の最も大きな魅力を担うのがバラゴンであるにも関わらず、作品のメインは怪獣的魅力の無いフランケンシュタインのほうだ。 バラゴンはもっと正統派の怪獣同士の対決映画、それこそ「ゴジラ対バラゴン」なんていう作品に出演すべきほどの怪獣役者である。 作品にめぐまれなかったにも関わらずバラゴンは怪獣ファンには大人気だ。作品の出来に関係なくここまで人気があるということは、それだけバラゴンが魅力的であることの証明だ。 バラゴンにはリアルな生命感が感じられる。 ゴジラが爬虫類を思わせる怪獣であるのに対し、バラゴンはどこか哺乳類的なものを感じさせる。 パラボラアンテナのような耳、鼻の上の1本角、大きな手や段々になった背中。 私見を言わせてもらえればバラゴンのずんぐりとした体躯からは熊、そしてサイを連想してしまう。 猛獣的なイメージがバラゴンにはある。 地底怪獣という設定もバラゴンにふさわしい。 ゴジラが海の怪獣ならバラゴンは大地の怪獣だ。 地中のエネルギーを宿す力強い怪獣というイメージがある。 ゴジラに負けないくらい堂々とした風格を感じさせる。 作品にさえ恵まれていればバラゴンはゴジラと人気を二分する「怪縦王」となるにふさわしい威厳を漂わせている。 決して妙なメイクをした人間に負けるようなタマではない。 そしてこのバラゴンの哺乳類的、地中的、大地の化身としてのイメージはウルトラ怪獣に引き継がれる。 バラゴンの着ぐるみは改造され、パゴス、ネロンガ、ガボラと人気ウルトラ怪獣として何度も蘇る。 バラゴンは体のパーツ、ひとつひとつが非常に優れたデザインによって構成されているのだ。 バラゴンの全体像は非常に「怪獣的」である。 その1部を取り出しただけで非常に濃度の濃い「怪獣らしさ」を放っているのである。 このブログで何度も使っている言葉「怪獣美」が高い濃度で凝縮された怪獣だ。 またバラゴンの着ぐるみを流用していなくてもバラゴンのもつ「猛獣的」イメージの後継者としてウルトラマンのレッドキングやゴモラが挙げられるのではないかと思う。 哺乳類的、地底的なイメージとパワフルさ、堂々とした威厳など、彼らはバラゴンの後継者と呼ぶことが出来ると思う。 ゴジラとはまた違う系統として進化していった怪獣がバラゴンをルーツとする「地底怪獣」たちであると思う。 作品に恵まれなかったためにトップになれなかった不幸な怪獣、それがバラゴンではないかと俺は思う。 バラゴンは裏の世界、アンダーグラウンドすなわち地底における怪獣の王者である。 ■
[PR] ▲ by pulog1 | 2004-08-26 05:59
![]() キングジョーはウルトラセブンの怪獣の中でもトップクラスの人気をほこる怪獣だ。 ここで「え?キングジョーは怪獣じゃなくてロボットだろ?」と言う人もいるだろうと思う。 もっともである。 キングジョーはまぐれもなくロボットだ。 しかし同時にキングジョーは怪獣でもある。もうすこし誤解の無い言い方をするなら「ロボット怪獣」と言うべきだろうか? キングジヨーはロボットであると同時に非常に怪獣的なのである。 この「怪獣的」という概念をどう説明したらいいのか、俺はボキャブラリー不足のせいでうまくいえないのだが、たとえばこういう言い方をしたらわかってもらえるだろうか? 「キングジョー、メカゴジラはロボット怪獣である」 「ガンダムのモビルスーツ、ザク、グフ、ゲルググはロボットではあるが、ロボット怪獣ではない」 キングジョーとメカゴジラから感じる共通の臭いと、それが感じられないモビルスーツの違い、ニュアンスを感じ取ってもらえるだろうか? キングジョーはロボットでありながら、非常に怪獣っぽいのである。 これは本当にニュアンス的なものなので言葉で上手く説明できない。 しかし、ロボットであるキングジョーから漂ってくる、パワフルさ、重量感、存在感が怪獣と共通しているのである。 俺の言いたいことが伝わってくれればいいのだが、ボキャブラリー、説明力不足でごめんなさい。 そんなわけでキングジョーはロボットでありながら、この怪獣ブログで取り上げることになんの不自然もない、・・・・と俺は思うのだ。 だってキングジョーは、とても怪獣っぽい。いや、キングジョーは「ロボットっぽい怪獣」だと俺は思っている。 逆に「怪獣っぽいロボット」というとゲッターロボのメカザウルスたちだろうか? ゲッターロボといえば合体ロボの元祖と言われているが、そのゲッターロボに先駆けて「合体ロボ」の先駆けとなったのがキングジョーだった。 頭、胴、足の3つのパーツが合体して完成するキングジョーこそ最初の「合体ロボ」である。 また、このキングジョーはその圧倒的なほどのパワーにより、あのウルトラセブン以上に強いのではないかとさえ言われている。 セブンを敗北寸前にまで追い詰めた強さは折り紙つきだ。 キングジョーの登場エピソード「ウルトラ警備隊西へ」は前後編にわったており、これはキングジョーはウルトラマンにおけるゴモラ的な強敵怪獣であることの証明であるといえる。 強敵怪獣は1話のみでヒーローに倒されることはなく、2話に渡って登場するものなのだ。 セブン屈指の強敵キングジョー、暗殺計画によりセブンを罠にかけたガッツ星人や、長い間地球における戦闘のせいで体がボロボロになっていたセブンを苦しめたパンドンは、純粋な意味でセブンと対等なほどに強かったのか疑問が残るが、キングジョーの強さは本物であったと思う。 真正面から対決してセブンを追い詰めた本物の強さだ。 その強さにふさわしい、パワーあふれるデザイン、ずんぐりとしていて無骨でありながらも、見るものを魅了する優れたデザインだ。 これはどこかスマートでシャープなフォルムの最新のスポーツカーよりもクラシックカーから感じる美しさに通じる。 威風堂々とした力強さと美しさを感じる。 「未来」というキーワードによって作られたウルトラセブンというシリーズにおいて、最強の敵がキングジョーだったというのは、いかにも「未来」らしい。 ロボットというモチーフの持つ未来的なイメージと、怪獣の融合。 俺はキングジョーをロボットというより「未来の怪獣」と呼びたい衝動に駆られる。 ■
[PR] ▲ by pulog1 | 2004-08-25 00:05
![]() 「ゴジラ」の大ヒットにより東宝は続編「ゴジラの逆襲」を制作する。 ゴジラによって「怪獣の洗礼」を受けた多くのファンは驚喜した。 またゴジラが見れる!また怪獣が見れる! それだけではなかった。 「ゴジラの逆襲」にはゴジラ以外の「新怪獣」までもが登場するのだ! その名もアンギラス。 古代の恐竜アンキロサウルスをモデルにした四足歩行、長い尻尾と背中一面を覆う鋭い棘、そして狼のような顔の「新怪獣」である。 アンギラスは日本ではじめての「新怪獣」であった。 それまで怪獣はゴジラ1匹しかいなかったところへ、新しい怪獣として現れた怪獣第2号。 このアンギラスの登場に続き、続々と新しい怪獣が生まれる。 新しい怪獣映画には新しい怪獣が出てくる。 このパターンを築いたのがアンギラスなのである。 さらにアンギラスは「怪獣同士の対決」という怪獣映画にはかかせない大イベントを確立した。 「ゴジラの逆襲」でゴジラの宿敵として登場し北極の氷原、および大阪においての2ラウンド、激しい対決を繰り広げる。 まさに史上最大のスケールで繰り広げられた「格闘」であった。 怪獣同士の対決はその後の怪獣映画の定番となる。 「キングコング対ゴジラ」、「モスラ対ゴジラ」・・・・・ 怪獣映画とはすなわち2体の怪獣が対決する映画だという認識さえ確立された。 メイン怪獣対新怪獣の対決。 これこそが「怪獣映画」であるという認識が一般化する。 その認識に忠実であったのは大映のガメラシリーズだろう。 1作目こそガメラ単体による怪獣映画であったが、それはメイン怪獣がなんであるかを観客にはっきり認識させるためであり、ガメラシリーズの本領はそれ以降の新怪獣との対決シリーズにこそあった。 「ガメラ対バルゴン」、「ガメラ対ギャオス」・・・・いずれも怪獣対決史に残る名カード、名ラウンドであった。 「ゴジラ対・・・・」、「ガメラ対・・・・」、こうした怪獣対決の先駆けになったのが「ゴジラの逆襲」のゴジラ対アンギラスの対戦である。 都市を破壊する怪獣、自衛隊の攻撃をものともせず返り討ちにする怪獣、いずれもよいが、やはりなんといっても怪獣映画の醍醐味は巨大怪獣同士の激突である。 「ゴジラの逆襲」におけるゴジラ、アンギラスの対戦はその第1回目にふさわしい、まさに黙示録的な戦いであった。 冒頭の氷原での対決は、どこかコマ撮りの怪獣映画を思わせるフィルムの回転数を落としたカクカクした動きでスピーディーである。 製作側の意図ではないにしても、これはハリーハウゼンのモンスターファンには嬉しい演出だ。 これこそが怪獣の動きだ!と思わせるものである。 そして大阪に上陸したゴジラを追って海から現れるアンギラス。 北極での決着をつけんがために、再び宿敵ゴジラと合間見える。 周囲の建物をなぎ倒しながら激しく争うゴジラとアンギラス。 この2大怪獣の大喧嘩のとばっちりを受けて大阪城は瓦解する。 怪獣の対決がいかに激しいものかを物語る名シーンだ。 死闘を繰り広げた末にアンギラスはゴジラに倒される。 そしてこのゴジラ、アンギラスの対決が終了した時点で「ゴジラの逆襲」は終わったと見ていい。 後に続く話は蛇足に過ぎない。 「ゴジラの逆襲」はゴジラ、アンギラスの対決を撮るためだけに存在した映画と言っていい。 これ以上の見せ場は、もうこの映画にはない。 2大巨大生物の大格闘、それが「ゴジラの逆襲」の全てだ。 アンギラスはゴジラの宿敵、ライバルとして申し分ない怪獣であった。 しかしシリーズが進むにつれ、なぜかアンギラスはゴジラの舎弟という位置付けに落ちてしまう。 「ゴジラ対メカゴジラ」のアンギラスなど、たんにメカゴジラの引き立て役、やられ役に過ぎなかった。 ゴジラに化けたメカゴジラに口を裂かれてやられてしまう。 初代アンギラスのゴジラに引けをとらない堂々とした新怪獣ぶりは消えてしまった。 残念なことだ。 日本における怪獣第2号として、そして新怪獣第1号として、アンギラスは怪獣の歴史において重要な存在である。 少なくとも初代アンギラスはもっとリスペクトされてしかるべきであろう。 ■
[PR] ▲ by pulog1 | 2004-08-24 13:19
![]() ウルトラQに登場した風船怪獣バルンガを見たときは驚いてしまった。 なんと風船の怪獣なのだ! これまでの「怪獣」の概念をぶち破る存在、「こんな怪獣アリなのか???」とびっくりしてしまうと同時に怪獣とはなんでもアリなのだ、と気づかされた。 これまでの怪獣のように、ある程度見慣れた生き物をモチーフにした生物とはかけ離れた、これでも生物なのか?と思ってしまうようなまさに「謎の物体」であるバルンガ。 強いて言えば海洋生物に似ている、ナマコなどの原生的な無脊椎動物、そんなイメージだ。 なんとも不思議でシュールなデザイン、しかしどこか脈打つ生物感を感じさせもする。 巨大な風船生物がふわふわと空に浮かぶ、あまりにシュールな情景。 ゴジラのように咆哮を上げて都市を破壊しまくるなどという派手なことは一切しない。 ただ不気味な心音を響かせながら大空に浮かぶだけ。 バルンガほどユニークな怪獣はいない。 怪獣の概念をぶち破り、なおかつ、これでも怪獣なのだと主張する。 バルンガを見て、怪獣とはなんと多彩で多様な生き物なのだろうと、俺は感慨を深くした。 バルンガの元ネタはSF作家ロバート・シェクリィの短編「ひる」であろう。 子供向けのSF本でこの「ひる」の子供向けバージョン「宇宙から来たひる」を読んだとき、 「お!これってバルンガじゃん!」 と俺は思った。 宇宙から来た細菌が地球上のありとあらゆるエネルギーを吸収し巨大化する。 バルンガもまさにこのシェクリィの「宇宙から来たひる」そのもの。 なんら破壊活動をするわけでもないのに、静かにじわじわと人類を破滅へと追い込む怪物。 電気、熱、その他のあらゆるエネルギーを吸収し、無限に巨大化していく。 バルンガによって都市機能は麻痺し、人類をパニックに陥れる。 世界を破滅に追い込む悪魔のような怪獣だ。 たとえジェット戦闘機によってミサイル攻撃をしかけようと、そのミサイルの爆破エネルギーを吸収し、さらに巨大化していくだけだった。 あらゆる攻撃がバルンガには無効だった。 さらにバルンガは台風に巻き込まれる。 その台風の莫大な風力エネルギーさえも完全に吸収してしまい、驚くほど巨大化するバルンガ。 大自然の猛威であえもバルンガにとってはおいしいごちそうでしかない。 そして完全に機能を停止した静寂に包まれた都市の上空に浮かぶ風船怪獣というビジュアルは、あまりにシュールなビジュアルである。 静かに忍び寄る破滅、手の打ちようがなく、ただ黙って破滅を待つより他はない人間達。 空に浮かぶバルンガは世紀末の象徴だった。 もはやこれまでか、と思われたとき、ある学者の発想で、バルンガを太陽に向かわせることに成功する。 莫大な太陽エネルギーを求めてバルンガは地球を離れ、宇宙へと向かう。 果たして太陽はバルンガをその熱で燃やし、消滅させることが出来るのか? それともバルンガは太陽さえも飲み込んでしまうのか? バルンガが勝つか、太陽が勝つか・・・・・・・。 科学者はそらを見上げてつぶやくのだった。 ある意味、バルンガは無敵の最強怪獣である。 あらゆる攻撃を無効化するバルンガは、他のどんな強い怪獣と戦っても負けはしないだろう。 ゴジラもキングギドラもゼットンも、バルンガには勝てないであろう。 それ以前にバルンガには「戦う」などという観念など持ち合わせていない、ただエネルギーを吸収するだけの原生生物だ。 他のあらゆる怪獣とは明らかに違った次元に存在する超生物である。 このバルンガのぶよぶよとした質感が妙に好きである。 ぶわぶわとした、柔らかそうな体(?) 下腹部(?)にならぶ短い昆虫の足のようなものをしゃかしゃかと動かす様。 気色悪さと気色良さを兼ね備えた、なんともいえない味わい深いモンスターだ。 それと同時に、子供である俺はバルンガのような怪獣が存在することが好都合だった。 怪獣の絵を書くのが好きだったが、ただ紙にぐちゃぐちゃとしたものを描き、それを「怪獣」であると言い張った。 バルンガのような、ただの物体にしか見えないものでも「怪獣」であるならば、なにを描いても「怪獣」だと言えるに違いない。 無限に巨大化するバルンガは、同時に「怪獣」という存在のバリエーションを「何でもあり」の無限大に拡大してしまったのだ。 どんな形状をしていようと「怪獣」になりえる。 怪獣とは、すなわち「無限大」なのである。 バルンガはその体と同様に怪獣という概念も、また無限に膨らませてくれたのである。 ■
[PR] ▲ by pulog1 | 2004-08-23 11:49
![]() ジャミラは悲劇の怪獣だ。 もともとはジャミラは人間であった。 フランスの宇宙飛行士ジャミラは地球人から英雄と呼ばれ、宇宙へと旅立つ。 しかし宇宙ロケットの事故で金星に不時着。 金星は灼熱の地獄である。 地球に助けを求めるが地球は危険な金星への救助は不可能とし、ジャミラを見捨てた。 かくしてジャミラは灼熱の金星において地獄のような苦しみを味わう。 金星の環境のせいで体に変化を起こし、人間とは思えない化物のような姿に変わり果てる。 ジャミラは自分を見殺しにし、こんな姿へと変えた地球人への復讐を近い、金星ロケットを改造「見えない円盤」へと改造し、地球へと飛来した。 決して拭えない地球人への恨みと怨念を胸に抱いて・・・・・・。 「ウルトラマン」は巨大ヒーローと怪獣の対決という基本構造をベースに多彩な「怪獣物語」を生み出した。 ありとあらゆるパターンの「怪獣の物語」を生み出しつづけるうちに、制作サイドにある疑問、怪獣物語を語る上での壁が生まれた。 「怪獣だからといって、それだけで殺してもいいのだろうか?」 自らが作り出した、ウルトラマンは正義、怪獣は悪、という単純な構図に疑問を持つ。 「果たして怪獣だからという理由だけで、悪役扱いし、平気で殺すのは良いことだろうか?」 ウルトラマンの基本構造を根底から揺るがす疑問。 円谷プロのウルトラマン制作スタッフは、この疑問、命題からどうしても目をそらすことは出来なかった。 それは円谷プロが、ウルトラマン制作スタッフが、怪獣をただの悪役、やられ役ではなくて、まるで我が子のように愛していたからではないだろうか? 悪役として、やられ役としてウルトラマンに殺されつづける怪獣に、心の中で申し訳なく思っていたに違いない。 そうした「怪獣を殺す」行為についての疑念に対する回答とも思えるエピソードがウルトラマンの中でいくつか見られる。 「恐怖の宇宙線」のガバドン、「怪獣墓場」のシーボーズ、そして「故郷は地球」のジャミラである。 ジャミラはたしかに怪獣であり、人間をおそう危険な存在だ。 しかし元は我々と同じ地球人。 それを他の怪獣と同列にあつかい、退治し、殺してしまうことは果たして正義なのか? ジャミラを怪獣へと変貌させたのは地球人の責任である。 科学特捜隊のイデ隊員は言う 「俺、ジャミラを倒すのはやめた!考えてもみろ!俺たちだっていつジャミラと同じ目にあうかわからないんだぞ!」 しかし科特隊キャップは 「たとえジャミラが人間であっても地球人にとって危機である限り、ジャミラをたおさないわけにはいかない。地球人を怪獣の危機から守ることが我々科学特捜隊の責務である!」 と、ジャミラ討伐を決定する。 ジャミラは日本の小さな村に現れ、口から吐き出す炎で村を焼き払う。 逃げ惑う村人達。 イデ隊員はジャミラに向かって叫ぶ。 「ジャミラ、てめえ!人間の心まで失っちまったのかよ!」 ジャミラは燃え盛る村、悲鳴泣き声をあげて逃げる人々をじっと見つめる。 復讐の塊と化したジャミラ。 しかし、わずかに残った人間の心が、自分がやった地球人の攻撃について、わずかな自責の念が浮かんだのであろうか? ジャミラは、ジャミラを宇宙に送り込んだ国際宇宙センターを攻撃しにやってくる。 全てのジャミラに対する不幸の原因と責任はここにある。 この宇宙センターこそがジャミラの本当の復讐相手だとばかりに、ジャミラは燃えるような復讐心に身を焦がしながら、やってきた。 それを阻止するためにハヤタはウルトラマンに変身。 ジャミラと戦う。 ウルトラマンもジャミラの悲劇、不幸がわからないわけではない。 しかしジャミラを止めるにはジャミラを倒す以外になかった。 両手から噴射するウルトラ水流をジャミラに浴びせるウルトラマン。 ジャミラは水に弱く、濡れると溶けてしまうのだ。 悲しげな泣き声をあげながら泥水の中でのたうちまわって絶命するジャミラ。 ウルトラマンには怪獣を倒した達成感はなかった。 ただ、なんともやるせない気持ちにかられるだけだった。 ジャミラには立派な墓が立てられ埋葬された。 墓碑銘には「地球の英雄ジャミラ、ここに眠る」 墓碑銘の刻まれた墓の前からいつまでも離れられないイデ隊員。 「いつだってそうだ・・・・・・、言葉だけは立派だ」 イデは地球のジャミラに対して行った仕打ちと、怪獣と成り果てたジャミラを邪魔で危険な存在と見なした後で、死んだ後に偽善に満ちた言葉ですべてをなかったことにしようとする身勝手さに、静かに怒っていた。 ジャミラのエピソード「故郷は地球」は子供には難しいテーマだった。子供心にこれはなんだかいつものウルトラマンと違って難しい話だぞ、ということはわかっていたが、なんだかあまりよくわからない話だった。 しかし大きくなり、成長した視点で、この「故郷は地球」のエピソードを見ると、そのあまりのテーマの奥深さを知り、驚くのだった。 ウルトラマンのエピソード中でも屈指の名作としてファンには語り継がれている。 怪獣を単純な悪として捉えることの疑問を投げかけ、さらに人間のエゴイズムについても語っている深い物語である。 一般的に単純明快とされている「怪獣の物語」の中で、ここまで深遠なテーマを語ることに「怪獣物語」は、より幅と可能性を広げたことからも評価されるエピソードだ。 ウルトラマンは自分で自分の喉元に刃を向けるような、このエピソードをしっかりと語ったことで、非常に志の高い名作であることがうかがえる。 「怪獣だからといって倒していいのか?」 ウルトラマンという物語の根底を揺るがすこの命題をしっかり語った「ウルトラマン」は、勇気と責任感、物語の語り部としての、表現者としての自覚をもった、尊敬に値する「怪獣物語」シリーズである。 そして、この物語、テーマを離れて、ジャミラを怪獣単体としてみてみた場合も、この怪獣は実にユニークで素晴らしいと思う。 首のない肩に顔のついたようなデザイン。 全身を覆うひび割れ。 細長い手足。 不気味で恐ろしいが、どこかユニークであり、愛すべきデザインである。 ジャミラを見ると誰もがシャツをかぶり、ジャミラごっこをしたくなることだろう。 シャツを頭からかぶり、首を出さずに、穴から顔を覗かせて「ジャミラ~!」と言いながらふざけるジャミラごっこ。 俺もシャツをかぶってジャミラの真似をするのは大人になった今でもやっている。 このジャミラごっこはバルタン星人の手をチョキにしてフォフォフォフォと言うのと並んで、もっともポピュラーな怪獣のモノマネごっこであろう。 ■
[PR] ▲ by pulog1 | 2004-08-22 17:48
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